20180108

蒼い衝撃の感動も冷めぬまま向かったのはかつての「赤アクリルの街」金沢  その5:大切なもの達が「集まってしまっている」素敵な喫茶店と東京タワーの話


雨の中、帰りの時間を気にしながらもタクシーで急いで向かった先はここ。
喫茶&軽食「さいふぉん」様です。


軍団ひとり様にご紹介頂き、「それはステキ」と
必ず行こうと決めていました。
何に惹かれたかというと、店内にはたくさんの「昭和」が残っていると聞いたから。



なかなか一人でいろいろなお店に入ることができない私ですが、ここはえいやっと入店。
すかさず素敵な店主さまが「寒かったでしょ」「奥はあたたかいわよ」と優しく声をかけてくださいます。嬉しい。

確かに店内にはたくさんの収集物がありました。
でもそれは、私が思い描いていたコレクションと少し違いました。


私は、送水口の写真ならばメーカーを「網羅」したり、
時代順に「並べ」たりしてしまいます。
そしてその欠損を補おうと収拾に出向きます。

そうではないのです。

そこには「集めたもの」ではなく「捨て得ないもの」が「集まって」いたのです。

店主様がなさったたくさんの旅行や関わったことがら、大切な方と一緒に行ったお食事。
思い出に関わるたくさんの物が「しかたなく」のこされていました。

それは、私のような他人から見れば昭和の遺産であり、歴史的に見ても貴重な逸品たちです。しかし、店主様にとっては「自分の思い出を呼び起こすもの」。

だから、一つひとつに物語があります。
それを、店主様は幸せそうに語ってくださいます。

貴重なアルバムも拝見しました。
そこは、昭和のものがある場所、ではなく店主様の昭和時代から今に至るまでの人生のたくさんの想いがつまっている場所でした。

けれど残念なことに、それをコレクションと見て「売ってくれますか」と頼まれたことがあるそうです。店主様にとっては価値があるから手元に置いているのではなく、捨てられないから置いてあるもの。だけども欲しいという思いがお客様にあるのなら、と売ってしまわれたそうです。
しかしその夜、そのことが気になって眠れなかったとか。
それは惜しいから、ではない。それにまつわる思い出が離れていってしまったからであり、そのもの(ポスターだったそうです)からの、店主様のもとを離れたくないという念のためだったのではないでしょうか。



この膨大なものたちは、此処で、店主様の言葉と一緒に鑑賞するのがいいのだなあと思うばかりです。


と考えながらも、欲にまみれている私は或る絵葉書セットに目が留まってしまいました。
東京タワーです。




完成したばかりの東京タワー。
周りには高い建物は一切ありません。
東京じゅうの人々がここを仰いでいたのです。


そして。
この東京タワーに設置された送水口こそ、
あの建設工業社様の製品なのです。





開発されつつある東京。それを見下ろすタワー。
それをまるごと守る連結送水管システムの一翼を担ったCEC…


そのメーカー様の商品を、私たちは今も目にすることができる。
なんという幸せなのでしょうか。



脱線してしまいました。戻りましょう。
東京タワーの絵葉書セットに描かれていた絵がありました。

たかい!
でもきっときっと本気でこんな気持ちだったのだろうなあと思います。作った方は。

そんなこんなでお店の逸品たちを拝見しているうちに、また一人お客様が。
なんと横浜からいらっしゃったという。その方も初めてここを訪問したとのことでした。
三人でいろいろとお話していましたが、そろそろタイムリミットです。


また来ます、と声をかけてドアを閉めました。お店のまわりをもう一度回ります。


そして、最後にもう一度都ホテルを振り返り。

次に来る時には金沢駅の正面の景色は違ってしまっていることでしょう。
でも未開拓の場所がたくさんあります。再訪します。必ず。

20171203

蒼い衝撃の感動も冷めぬまま向かったのはかつての「赤アクリルの街」金沢  その4:金沢大和百貨店から…まさかの、あの送水口に出会った件

 ニューグランドから少々反対側に寄り道をしておりましたが、目指す大和百貨店に来ました。大和百貨店と言えば、わたしの憧れであったあの「新潟旧大和百貨店送水口」の大和さまです。(現在送水口博物館にあります)
新潟市の旧店舗には村上製作所製送水口、長岡の旧店舗では建設工業社製送水口と、名だたる送水口を設置している百貨店です。
しかし、こちらは既にストリートビューで見て失礼ながら「うん、まあ・・・」と思っておりました。

それが、しかし、しかしだったのです!!!!!










さて、到着致しました。白く塗られています。プレートも貼り付けタイプ。

・・・とりあえず近付いてみましょう。


額縁部分がものすごく磨かれています。ほとんど鏡面。 

一度にたくさんの送水口を味わえます。お得・・・・って、あれれ 



えっ





あし、足元!!!!! 

位置図が!!!!こんなところに!!!! 



さすがに陶器製ではないようで、固目のプラスチック?ゴム?模造石?なのかちょっとさわっただけではわかりませんでしたが(ここで物凄い勢いで触る勇気はありませんでした)、なんとも大胆なアイディアではありませんか。


改めて引いて観覧。すてき。なんという異世界感。 


勿論この位置図に書いてある送水口は全てチェックします。
いざいざ。



裏手にひとーつ。こちらはすっきりそのまま設置。
でも壁が一段前に出ています。送水口用壁面。よかったね。 






実は帰宅後、ふと思い立って2001年に撮影した写真を見てみたら…
撮ってる!!撮ってました。

・・・しかも「ダイワ。ここで他の人たちはお買い物」などと付記が。
いくら時間に追われていたとはいえ、撮れる枚数が限られていたとはいえ…ちゃんと足元を‼見なさい!!!
と当時の私を叱りつけたい気分になるのでした。

ということがありつつ、他の送水口もチェックチェック。



間違っちゃったのですね。 


ちゃんとこの送水口用になっています。凄い!!





まだまだ歩いていない所はたくさんありますが、日が暮れる前に新幹線に乗らねばなりません。何しろ翌日はお仕事です。

雨もかなり強くなってきました。



片側アーケードがある場所を歩きながら、そろそろ移動しようかと思っていたそのときです。

特に気にしていなかったビルに、昭和36年の定礎。 

とは言え、このビル、特に高くもないようです。
ゲームセンターなどが入っています。
見渡しても、特に送水口は目につきません。そりゃそうだよね、と独り言を言いつつ、タクシーを探しました。



アーケードの外は雪こそ降っていませんが、寒く強い雨が道を叩いています。



タクシーなんて拾えないだろうなあと思ってしばらく経ちましたが、運よく一台のタクシーが停まってくれました。ありがとうございます!!!




そして、乗り込んで数メートル。
すぐに車が詰まって停まりました。




ふと片町ビルを見れば。


そうすいこうがある。



しかも、何というか尋常ではない雰囲気の。





まさか、まさか。

でも今乗ったばかりだし。
運転手さんに言いにくいし。
信号待ちでもないこの状況で、言い出す勇気もないし。



でも、どこまで行って降りたらいいのだろうか、いやそんな

それより


「今撮ればいいじゃないか!!!!!!!!」





ととっさにカメラを構えました。












村上壁埋設SIAMESE!!!!!!!!!








すかさずタクシーの中で撮影画像を拡大。
間違いありません。
富士山型の弁も、
文字の感じも、
そしてかすかに見えるMの頭も。


やった~~~~~~~~


とは言えこんな真っ黒に塗られて、可哀想です。
そして、一度スルーしていた自分が情けないです。

この後もう一度戻ろうかとも思いましたが、次の目的地でもとても素敵なできごとがあったので、今回は大人しく新幹線に乗って帰りました。

また行かねば、金沢!!!!!

(と言いつつまだ続きます。)


20171202

蒼い衝撃の感動も冷めぬまま向かったのはかつての「赤アクリルの街」金沢  その4:上堤町1丁目の至福

さて、駅から離れて街を歩きます。
目指すは単口、あるいはアルファベットのオールド送水口。

とはいえアクリルはやっぱりたくさん目に焼き付けておきたい。

蒼と紅

夕べ新横浜できょうだいに遭遇しました。

こちらは、ぽんたさん 仰るところの「しめしめ物件」であります。しめしめ。

ここぞとばかりにのぞいて・・・・

みたかったのですが、人通りが多かったのでここまでで諦めました。しくしく物件。

金沢ニューグランドホテル。文字が、文字が凄い。


括弧と文字の間がバーで繋がれているようです。気のせいかしら。

「送」の字の画の間や片仮名の間も繋がれているようです。




表に回って見ました。送水口のためにここまで。要塞送水口。

近付いてみましょう。

雨が降ってきましたが

だんだん強くなってきましたが 
いやはや凄く厚みのある文字です。
括弧と文字の間はやはりバーで繋がれていました。



これを技術的に美しくないとみるか、できるだけ長く文字を崩さないための工夫なので多少綺麗でなくともよいと見るかは意見が分かれるところかもしれません。


因みに背面はこんな感じでした。

蛇口痕でしょうか。 

さてさて。大通りに出ました。
尾山神社の前です。香林坊側に向かい、大和デパートに行くつもりでしたが、めいてつエムザ方面になにやら送水口オーラが漂っている気がしてなりません。

時間を気にしつつ、左へと足を向けました。さてさて。

わー、長い!!

私が今まで出会った中でおそらく最も背高のっぽの採水口です。
手前の送水口が自慢げに紹介しているかのようです。かわいい。

いやー高い。

あっ

日本生命金沢ビル。1969年。昭和44年。
消防法ができてしばらく経っているのに設置されたSIAMESE。
中部地方のにおいが致します。飾り板、こんな色になるのですね。雪の威力なのか。


機械彫刻、に彩色したのでしょうか。



青アクリルを覗いて、加工してみる。立売堀製作所様・・・・・?


とりあえず、純粋もの(昭和37年、おまけして30年代までのもの)ではありませんでしたが、感動です。満足です。

ふわん、となりながら歩いていくと、妙な空気。


ん?あれはもしや。



おおおおお


ああ、この文字!

このロゴは!!!

村上様ではありませんか。(ちょっと勿体付けてしまいました)


しかし残念ながら防火栓は「痕」になっていました。残念すぎます。が、開閉弁やロゴの痕跡も往時の姿を彷彿とさせます。見える、見えます。

そういえば、この送水口の様に、配管あるいは飾り板はステンレスで接続口だけ銅鋳物、という物件にこれまで数々出会ってまいりました。
どうなっているのか、と思ってきましたが、送水口博物館館長様によれば「まだステンレスでの造形が高価過ぎたころのもの」とのことでした。(配管や板ならばOK)ですから、ステンレス部だけ改修して新しくしたのではなく、銅鋳物からステンレスへの過渡期に設置されたことを示す、レアものの一つだということなのです。

因みにここはアパ金沢ビル。先ほどのSIAMESEよりも古い1965年にできた建物です。

立て続けに二つも逸品に出会ったので、雨は強くなってきましたが気分は最高です。
しかし、この先にとんでもないできごとがあろうとは…!(続く