20170725

孤峰寺社送水口がまた一つ!!!大船観音で村上送水口に出会う

大船です。
大学生の一時期、深夜に浮かぶ観音さまを見つめ続けた数週間。
今回はその思い出の場所に・・・

というわけではありませんが、いろいろあって大船観音へ。

ああもう閉門ですね。って・・・・あれれ

まさかの

村上さま製自立型送水口ではありませんか!!!!

残念ながら本体すぐ下(鎖の下10㎝くらい)の金属プレートは外れてしまっていましたが、
ぺったんこの頭も、鎖も鎖留も、まごうかたなき村上様製です!!

この透明感ある表示もたまりません。いい色!

それにしても村上送水口の露出配管なんて、珍しくないですか??
ああ、思い出しても手が震えます。

閉門しているとはいえ、門の前までは行けるようなので配管を辿ってみました。

が、途中で上へ・・・

さすがにここは登れません。いえ、考えもしてません。

今度はもっと早く来ます!!!

大船のまちを見守る観音様。
さらにそれを守る村上製作所製送水口。

素敵な出会いでした。
いい一日になりました!

20170723

新橋の歴史的遺産がまた一つ・・・ 続き

昨日の記事の続編です。

昨日は送水口博物館の開館日でしたので、さっそく物産ビル別館送水口たちに対面して参りました。


この4基が救出されたものです。
(そばにあるビールは開館記念にキムチさんがご自分でデザインしてお祝いとしてつくったものです。撮影しようとしたらなぜか館長が傍らにそっと置いてくれました)


あの系統区分図も!!!!ナンバープレートも!!!! 



そういえば、これで村上製作所様製の露出Y双口送水口は
アルファベット表記と





片仮名表記と





そして漢字表記、3種が揃ったことになります。
接続口間75度。
他のメーカー様にはない角度の村上送水口が並ぶ様は
壮観過ぎて眩暈がするほどです。









最後になりますが、このようなお知らせが送水口博物館にありましたので紹介させていただきます。私も見に行きます!!!楽しみです! 


新宿眼科画廊、8月25日(金)~30日(水)だそうです。

20170722

新橋の歴史的遺産がまた一つ・・・・ 「インベーダー送水口」の行く末はいかに

「インベーダー送水口」とは、たしか送水口博物館館長が付けた愛称だったかと思います。
インベーダーゲームというものが昔ありまして・・・と説明するのも無粋なのですが、まあそんなふうな「陣形を組んで」いる送水口があります。



いえ、あったのです。新橋の物産ビル別館に。

このビルの壁面に、その送水口達は物凄い存在感をもって君臨していました。

五基全て金色の村上製露出Y送水口でした。
なんという神々しさ、なんという贅沢。 

真鍮のように見えますが、そして私も村上送水口博物館館長様に教えて頂くまではそう信じておりましたが、青銅製だそうです。時を積み、磨かれ続けてほんのり赤く、深く輝き、そして柔らかな光を放つ名品中の名品といえましょう。





村上製漢字表記露出Y送水口に純正金属蓋があるものはどちらかと言えば少ないのです。こちらもその例でしょう。純正品と比べるとツマミが角ばっていて、少々薄く、中央の突起も別パーツ・・・??のようです。 そして、鎖も細く華奢なステンレスのものをどこかから調達したようです。

因みに純正品はコレとか

コレとか

コレとかです。 







そして、実は館長に見せたくなかったのですが、その理由がこちらです。 
多くは語りませんが、現場の判断でこうなったのでしょう。切ない。








ところでこちらの送水口達。
「送水口」とは書いてありますが、



地下階用の「連結散水設備用送水口」です。
連結散水設備は地下階や地下街の火災に対応するために設置され、スプリンクラー設備のように天井の消火ヘッドから散水します。散水が滞らないよう外部から注水を続けるための水の供給口がこれらの送水口です。

地下階や地下街は広く、倉庫などに使われている場合も多い為、全ての区画に水損が及ばぬよう区画ごとに散水できるようにしています。選択弁がついていて一つの送水口で事足りるようにしているものもありますが、ここでは区域ごとに担当する送水口が存在しています。

消火すべき場所へ確実に送水するため、識別のために送水口の蓋に色を塗ったり、番号シールを貼ったりするのですが、ここでは飾り板に彫り込まれています。(表示板は後から付けられたもののようです。)






複数の送水口で対応する場合は大きなプレートに壁埋設送水口を集合させたり、自立型送水口を並べたりということが多いのです。露出Y型送水口を選択するということは、唯一の事例ではありませんが、非常......!!!!に稀であります。消防設備(正確には『消火活動上必要な施設』)にここまでお金と壁の面積(露出しているのですから空間も!!)を使っている。感激するばかりです。今から造るとなったら決して在りえない選択肢でしょう。



そんな


そんな物産ビル別館が、解体されます。











ちなみに物産ビル別館の竣工は1968年(昭和43年)。あと一年で半世紀・・・というところでした。


ではこの送水口たちはどうなったか。







送水口の神様は、彼らを、見捨てなかった。













今現在、四基の送水口が送水口館長の村上さんによって救出され、送水口博物館へと運ばれています。(この二枚の写真は村上さんからお借りしました。)




建物がなくなってしまうのはとても悲しいのですが、その思い出を残す送水口たちだけはこの世に、在りし日の姿のまま残ります。



インベーダーたちはもう、陣形を組んで建物を守ることはありませんが、古き良き時代の新橋を思い起こすことのできる象徴として、これからも後世の人たちに見てもらえることになったのです。



7月22日現在、救出はまだ終わっていません。

NO.4の一基がまだ、頑なにその場所を離れないそうです。
「何をするんだ、まだ頑張れるよ」
「仕事をとりあげないで」
と叫んでいるのか。

「どうしてもというのなら建物と一緒に朽ち果てる」
そうこころに決めたのか。


「もう少しだけここにいさせて」
と惜しんでいるのか。

後日ふたたび撤去作業が行われるそうです。
どうか、NO.4が「歴史を伝える」という新たな役目へと静かに、やすらかに移ることができますように。


20170720

赤羽を見つめる麦わら帽子

赤羽には、こんな送水口があります。

まるで麦わら帽子のような大きなつば・・ではなく飾り板。

正面から見るとこの迫力です。
本体に比して非常に巨大です。 

ところでこの送水口を上から見てみましょう。

あれ、この角度はもしや・・・
露出Y送水口の接続口間が75度というのは


村上製作所様しかありえません!

ということで他の角度からもじろじろ。 

おおお、やはり 


やはり村上製作所様のものですが、この飾り板はいったいどうしたことでしょう。
村上製作所様の露出Yの飾り板と言えば、もちろんこんな感じなのですが・・・

まるで、南北製作所様のようです。


不思議です。
ということで(?)夜の写真もどうぞ。




見れば見るほど不思議です。

あまりに不思議だったので送水口博物館館長様におたずねしたところ、
「あの頃(この送水口がある赤羽第一葉山ビルができたのは昭和41年)は、送水口が売れて忙しかった。部品の製造・調達も大変だった。ビルの建設の進行を妨げないために、あえてこういう部品を使ったのかもしれない。」とのことでした。
なるほど、建設主様からの要望という可能性は低いのですね。それどころではなかったということなのかな。

日本各地に高い建物がどんどん増えていった時代。
送水口がどんどん増えていった時代。

それをかたっぱしから撮影していた方がいらっしゃらないかしら、と
今でも妄想してしまいます・・・・。

20170719

自立させられていない自立型たち

壁埋設型送水口に対し、このように地面から管が立ち上がっているタイプの送水口を自立型、ときにはスタンド型と呼んだりします。







自立型送水口はその名の通り「自立」している訳ですが、時折そう見えない事例に出会ったり致します。


こんな感じ。蒲田にて。





蓋を盗まれないようにするための鎖、基本的には本体(接続口のあるパーツ)下部などに鎖留が付いており、そこに繋がっているのですが・・・・



まるで吊られているようです。しかもちょっと傾いている。


共成産業様の子ですが
おおお、台座にまでロゴが!珍しい!


などと言っている場合ではなく



何というかもう自立せずに後ろの壁に身を任せているというような・・・


お店の前に繋がれて、飼い主を待っているわんちゃんのような健気な風情もあったりします。 




鎖が壁に、という点で思い出すのはこちら。銀座編。 
こちらは逆に堂々としていて、ホースを従え、パイロンに訓示を垂れている妄想をしてしまいます。
足元からドレンが見えているのも素晴らしい。(自立型のドレンはほぼ見えないので)


このアングルから見ると神々しささえも感じられます。尊い。 

それにしても壁に繋がれている送水口には
「蓋盗るならビルごと動かしてみなさい」という挑戦が感じられ・・・
ないでしょうか。
いずれにせよ、自立型に表情というか人格を感じさせてしまうこの施工。
他で見つけたらどうか教えてください。