20131231

至宝のオールドプレートを求めて~三重県松阪駅~

2013年、年末の3連休。
名古屋へ行ってまいりました。

いきなりですがそれは置いといて。

二日目の夜、仕事があるという家族をホテルに置き去り、一人特急みえに乗り込みました。

何故というに、松阪駅に非常に美しいオールドプレートがあると教えて頂いたからです。
写真で見て、ストリートビューでも確認したのですが、せっかく近くまで来ているのだから本物を観ないわけには参りません。
いえ、近い・・とはあまり言えないとは現地で思いましたが、いざ列車に乗り込んだらどきどきしていろいろ考えて、あっと言う間に到着してしまいました。


前置きはともかく
これです。
駅前で窒息死しそうになりました。



何という年季の入ったプレート。
まるで火事を経験したかのような(火災がよいと言っているのではないので念のため)擦られ具合。
よくあるようであまりないこの縁の丸味と高さ。

この角度からだとよくわかります。


しかもそこに蛍光黄緑プレート。右側はそれが退色したのかもともとこの色だったのか。
恐らくは不透明赤アクリルがついた設置当初としてはかなり艶やかなプレートだったことが想像されます。



↑左側。


↑右側。

文字は別に鋳造して貼り付け、のようです。
かなり急ぎの仕事だったのでしょうか。


↓こちらは長いので作業が大変だったのでしょう・・・
よく見ると一つの文字に2~3か所ずつ溶接したであろう形跡が見られます。





本物も写真も見飽きません・・・・・・。




さて。

このような歴史が刻まれたオールドプレート、しかも現役・・・しかしこの規模の駅舎、そして VIE DE FRANCE の壁紙とは少々相性がよくないような気もいたします。

駅舎もそんなに大きくはないのに、何故このような送水口があるのでしょう。

ということで調べてみたら、かつて松阪駅に隣接して、大きな「三交百貨店」という百貨店があったそうなのです。あった、というのは即ち現在は既に閉鎖しているということです。
確かに建物も撤去され、跡地も駐車場になっていました。

この三交百貨店、Wikipediaによれば、昭和40年にできたとのこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%A4%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%9

百貨店はこの場所ではなく、上の写真でこちらから見て右手にあったようですが、このオールドプレートの存在はその設立と無関係ではないでしょう。
屋上遊園があったほどの立派な百貨店だったようですから、このようなプレートがあってもおかしくはありません。
百貨店本体にも送水口やスプリンクラー用でこれとお揃いのプレートがあったのではないかと想像致します。

しかし。
もしかしてこの路線の駅舎は建設時に消防設備についてはお洒落にするという暗黙の了解があったのでは???
・・・そう勘繰り、周辺の駅舎をストリートビューで見てみました。
が、どうもわかる限りではそのようなことはないようです。(そりゃそうですね)


さて、とりあえず撮影も鑑賞もしたので宿泊先の名古屋へとんぼ返りせねばなりません。
しかし、ちょうどいい電車がありません。「しょうがないなあ(*^_^*)」と、すこしばかり駅周辺を探索することに。(真っ暗ですが)

駅前の広場には巨大な鈴のオブジェ。
松阪出身の本居宣長さん由来だそうです。
Wikiによれば「鈴コレクター」で自宅の屋号も「鈴屋」!!
うむむ。急に親しみがわいてしまいました。


ということでマンホールの蓋ももちろん(?)鈴。


ちゃんと「鈴」って入っているところが憎いです。小さいタイプもありました。
カラーもあるのでしょうか。見てみたいです。

駅前のオブジェからすれば、おそらくは金色のものが緑青によって上のような色合いになったはず。
カラー蓋があるとすればどちらの色にしているのか。
また、「本居宣長記念館」のサイトには彼のコレクションが少しばかりのっています。

そちらの写真は既に黒くなっている・・のかもともと黒かったのか。
紐の色も「鈴屋集五」によれば「赤い緒」だそうですが、コレクションの写真は色あせたのか茶色か褐色になっています。

こういうことを知るとカラー蓋をこのときに観なくてよかったなあ、と。
想像する楽しみができたからです。
きっと調べればどなたかが写真を撮ってアップされているのでしょうが・・・。

因みに消火栓蓋はこちら。
周りの黄色い囲み線が丁寧です。




駅前から外れると・・・庇下式のアーケードがありました。
かなり長いので送水口もあるはずです。というかそちらが先に目に入りました。


で、近づいてみると・・・あれ?



あれれ?



下向き単口!です。


実は一部地域によっては防火対象物の規模が小さい場合は単口を推奨、とまではいかなくとも単口でOKとされています。
もちろんその単口は、本ブログで騒いでいるような昭和30年前後の古いタイプではありません。
たとえば姫路では「高層階以外に設ける連結送水管」として以下のように記載されています。

三重県あるいは松阪の資料は無いのですが、都市部以外ではそのような判断が妥当だと私も思います。点検も簡単でしょう。購入する際の値段も全く異なります。

姫路の条例をみて、早く姫路に行きたいなあと思っていたのですがその前にこちらで見てしまいました。眼福眼福。

放水口もわかりやすい。


放水口を観たいがためにアーケード周辺のビルをこそこそと登っていたりする私ですが、ここなら見放題です。
 この建物の二階にもお邪魔してみたいところです。


アーケード満喫。

ここでふと気付きます。
ここが「条件によって単口OKなまち」ならばアーケード以外にも単口があるのでは!?





というわけで電車を一本遅らせて街をもう一回り。
ありましたありました。



↑屋外エスカレータの足元(?)にあります。
「ベルタウン」というショッピングモール。
夜なのでよくわかりませんが、かなり昭和の香りがする場所です。ネットで後から調べたら「かつては人でにぎわっていた」とのことです。今は少々お客様が少なくなっているということでしょうか。お店もいろいろ入っていて裏通り側にも照明がついており、遅い帰宅の人にも優しいなあと思った場所でしたが・・・。


違う側面にもう一つ。


 お腹がすいた・・・と思ってふと時刻をチェック。
あらら、さすがにそろそろ駅に戻らねば。












駅近くの観光案内板。
きれいにしてるなあ・・って、ん?


手前にある高そうな石造りの・・・?空き缶入れではありません。


 なんと、れっきとした送水口でした。
夜だったのでよくわかりませんが、不透明白?のプラスチック蓋(割板でない)がついていた模様。
風景に溶け込むようにとの配慮かもしれませんが、表示もないし一体どうしたのか!因みにこれは奥にあるビルのための送水口のようでした。
・・・ということを確かめるためにビルの周りをまわってしまったのでもうすっかり電車の時間が迫ってきています。いそげー。


切符を買って、もう一回撮影。
ふう(*^。^*)

帰りは近鉄。
ものすごく快適な車両でびっくり。

ホテルでお仕事をしていた家族とはうらはらに幸せなひと時を過ごした私でした。

20131210

昔の写真復活編その2 ~年末三連休は名古屋へ行くことになりました記念~

デジカメを手に入れた20世紀末から2004年くらいにかけて、
私はひたすら送水口の写真を撮っていたのでした。
それが仕事やら家族のことやらで身動きが取れなくなって中断。
ここ数年やっと人間らしい生活に戻り、送水口観察も再開しました。
しかしかつての写真はいろいろあってほとんど残っていません。
かろうじて残っていたものを家族に復活してもらったデータがあるばかり。

残っていた写真は画質も悪く、場所などの記録もなくなってしまったのですが、
少し昔の写真として送水口的に見るべきところもありそうな気配です。

ですから、時折こうやって昔の写真を紹介していこうと思います。
見にくいところも多々あると思いますが、気が向いたときにお付き合いいただければ幸いです。






さてさて。

年末三連休。
初日に或るイベントに参加した後、名古屋へ行くことになりました。
名古屋市立美術館でハイレッドセンターの展示があるのです!

http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2013/hrc/

深夜に大垣行きの東海道線に飛び乗り、名古屋に向かったのは1995年でしたでしょうか。
早朝の名古屋を歩きまわったあと、市立美術館へ行きました。
そして赤瀬川原平さんの展覧会を観たのでした。

ハイレッドセンターの展示は来年東京に巡回するそうですが、これはやはり名古屋で見ないと、ということで行くことにしました。わーい。


名古屋といえば送水口的には
「現在、青アクリルが多い」
との情報を得ております。

しかし、私が写真を撮ってまわったときにはそういうイメージはなかったわけで、やっぱりこれも時代の流れというべきなのでしょう。

今回ご紹介するのは2000年か2001年のものです。
年末に行ったときにどうなっているのか楽しみです。

では行きます。

先ずは2000年か2001年当時の名古屋駅の風景。



右下にアクリルらしき送水口が見えます。


いきなり不透明オレンジアクリル。


他にもアクリルがいっぱいです。

こちらは不透明赤アクリル。

透明オレンジアクリル。
非常電話などの窓も透明アクリルです。こちらも十字に溝が入っているタイプのようです。
このころからあったのですね。


 透明黄色アクリル。
今見てもかっこいい。
上三つがスプリンクラー用。
左下が泡消火用。
残りが連結送水管用ですね。
位置データ紛失していますがデパートの送水口だと思われます。
金色の枠付きプレートが豪華です。


ありました。透明青アクリル。
左上の空間もいいです。


アクリル色切り替え中その1。


その2。
こちらはなんだかいろいろ貼ってあります。
よく見れば文字が独特です。そして何より奇異なのは、二つの接続口の位置が上下にずれているという・・・・。非常に人を不安にさせる送水口です。


駅前・・・ホテルの送水口ですが、なんだかぱりぱりしています。。



び、ビニール・・・?


駅用送水口も黄色アクリル。
放水口位置案内図が付けられている送水口が多いです。丁寧。


こんなにカラフルなものも。





オールドプレートも撮っていました。
ナイス昔の私。


このデザインはほかに見ません。
三機工業様の製品でした。まだあるのでしょうか。


こちらは区域図まで銅板です。
製作所様はわかりません。




そういえば当時驚愕したのがこれ。箱入り送水口です。
いまでこそ珍しくはないですが。
とはいえ真鍮箱というのは今でもないかもしれません。



こちらはサイアミースと書いてあります。
「送水口」と「引」の赤い文字は今風ではありますが、この箱の佇まいを考えるとオールドプレート・・・ではないですが、オールドボックスと呼んでもよいのかと。


正面から恐れず撮る私。(わかい)


別の場所で見た箱入り採水口。
私が開けたわけではありませんので念のため。
本当です。
しかしよく見ると、鎖を繋ぐ金具もあります。
もしかしたら箱は後付け・・・?


もちろん自立型もありました。
採水口は爪も大きく頭頂部に開閉弁がついているタイプで派手派手です。
ちょうどこちらを覗いているような感じがしていますが、表示がこちらについているので隠れようもありません。
また、「双口送水口」と敢えて書いてあるのが謎でもあります。



というわけでこれらの写真から10年以上たった現在。
私がやっていることは全く変わっていませんが、街は変わっているはず。
現在の名古屋の送水口を求めて、行ってまいります!!

20131208

さらば横浜CIAL、東急エクセルホテル その2 10数年前の煌めきを振り返る

2013年12月現在。
サグラダ・ファミリア横浜駅の改築ですが、相変わらず進行中です。

昨年の12月にもこのことについて記事を書きましたが、東急ホテル跡地がビアガーデンとか牡蠣小屋になっていたりするほかは目立った変化はありません。

なので、視点を変えて、今回はもう少しだけ昔の横浜を見てみましょう、という趣旨でございます。

因みにこれが、昨年12月の記事です。

http://sousuiko.blogspot.jp/2012/12/cial.html

一番下の写真の送水口はこれでした。


寄って見ます。



しぶいのも当然、建設工業社さまの送水口です。
防火栓表示なのも時の流れを感じさせます。

このあと、完全にシートがかけられ、そして・・・・・今はもうなくなってしまいました。


この送水口写真のおよそ14年前の写真がこちら。

2000年3月。だと思います。
このときすでに新品ではありませんが、設置当初の輝きは健在です。


横から。



東急ホテルにはもう一つ送水口がありました。
こちらもCEC。頭部にロゴがありました。


こちらも、勿論もうありません。

いま、かろうじて復旧できた昔のデータをできるだけ整理しておこうと思っています。
と言ってもほんの少しです。
若いころに熱に浮かされたように撮った膨大な送水口写真はいろいろあって今ほとんど残っていませんが、できるうちになんとかしておくつもりです。

それはともかく。

真鍮の美しい輝きは、使わないとこんなふうになってしまうということなのですね。
今たくさん作られているステンレスのものはたとえ10年以上経てもそんなに変わらないのでしょう。
それは果たして喜ぶべきことなのでしょうか・・・
(一般的にはその通りです・・)